瞑想について
先日、清里にて4泊5日の瞑想合宿に参加してきましたので、瞑想についてまとめたいと思います。
私自身はこれまで、本で読んだヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス、上江洲義秀先生のもとでの「明想」などを実践してきましたが、どうしてもつづきませんでした。しかし2024年に入ってから流れが変わり、知人よりある「マントラを使う」瞑想を紹介いただいたのです。紹介後すぐにとはいかなかったものの、5月3日から2日間発熱で寝込み、その翌日心身が非常にすっきりとしていたため瞑想を”ごく自然に”始めていました。
後から振り返れば5月は太陽の活動が活発で20回の大規模太陽フレアが発生しており、1回目は5月3日でX1.6クラスの太陽フレアが発生していたんですね。それが何らか影響があったことは否めません。
そして今回私が始めた瞑想は「空の瞑想」。
「空の瞑想」は、インドのヨギの大師であるマハリシが創始した、世界的に有名な「TM瞑想(超越瞑想)」からの派生で、ボブフィックスさんが創始した「ELM瞑想(エターナルラブ瞑想)」。そのボブフィックスお弟子さんである村上浩樹先生によるものです。
村上先生曰く、「空の瞑想」とは
瞑想の神髄は「空kuuu」であり、これは根源的な働きのことです。地球の人々がその本質を知りたいと自然に願う段階に来ているからこそ、瞑想に惹かれるのです。この宇宙は眠れる空からサラスワティが音楽を奏でるようにして現れました。宇宙がどのように現れ出すかという摂理、それが皆さんの魂の青写真(ブループリント)です。だから「空を奏で生きる」こととは、この宇宙の青写真を生きることであり、自分の本来の魂の青写真を本当にaliveすることが空kuuuの瞑想なのです。
瞑想は古来より真理を探究するものたちによって行われてきました。例えば、プラトンなどの古代ギリシャの哲人たち、ニュートンやケプラーなどの近代科学の創始者たちまた、ユングなど深層心理学の先達。
しかし、地球の大変革期、大掃除期にあたる今、私含めて多くの人が自然に瞑想を求めているように感じます。事実、「瞑想」といっても、宗教だとか怪しいといったイメージは薄れてきているように思いますし、ビジネスの世界でも当たり前のように取り入れられている。「空の瞑想」を毎朝配信しているYoutubeチャンネルのチャンネル登録者も1000人以上に伸びているようです。
M・ドーリル博士の『ヨガの真義(霞が関書房)』によれば、
瞑想は”沈黙・概念・集中・霊感・熟考・抽象化・現実化の科学”。瞑想(メディテーション)という言葉は、ラテン語ではメディタラ(熟考)といっており、おそらくメデリ(癒す)という語と同根語。
ここでも「癒し」のワードがでてきました。
心理学的瞑想の三段階は、知覚、集中、着想。これは普通の生活で単純なことをなす場合に働いているごく自然な心理過程。より高度の瞑想の三段階は、瞑想・無念無想・悟り。西洋神秘学の通用語で言えば、浄化(心の)、光輝(魂の)、一体化(神との)ということである。この一体化というのは、真の沈黙のことである。(中略)
初心者である求道者は、沈黙の実習によって、我々が意識(魂)の進化過程を進んでいるのだということに思いを致せば、失望落胆の状から自分自身を救うことができるである。新しい能力とは、漸次に自分の内から開け、ひろがってくるのである。自己の心の旧習に再び堕落しないよう、再び巻き込まれない様になるために、心が完全に清まり、物的な似世存在の束縛から完全に無礙自在となれば、瞑想の完成をえるであろう。
天外伺朗さんの『ここまできたあの世の科学(祥伝社)』によれば
瞑想法を極めると、あの世に蓄積されている、全宇宙のあらゆる知識や知恵に自由にアクセス可能となり、仏教でいう「悟り」の境地に近づきます。
だからこそ、「あの世」を追及している科学者たち皆が皆、「瞑想法」に熟達している訳です。
瞑想で何か新しいものをえたり、急に悟ったりするわけでも当然なく、ただ日常の中で内側と対峙する時間をもつことで、薄皮をはぐように、徐々に徐々に、本来の自分、すなわち魂、意識、本質、源、霊、エネルギー、実在、etcそれらを呼び起こしていく、気づいていく、取り戻していくことができるのかもしれません。瞑想は、自己意識(エゴ)が自分自身と勘違いし、自己意識にすべてをゆだねすぎてしまった私たち地球人への、古くて新しい贈り物なのではないでしょうか。
皆様もよければ自然の流れの中で瞑想を日常に取り入れてみてください。村上先生の朝のYoutube配信を利用するのも一つの手だと思います。